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たきぎ のう
爆心地鎮魂薪能
かつて原爆ドーム周辺の地は「猿楽町」「細工町」と呼ばれ、
日常的に謡曲や囃子が聞こえる能楽ゆかりの町でした。
確かにあった豊潤な文化を後世まで伝えていきたい。世界の人に知ってもらいたい。
平和への願いを心に秘めて、原爆ドーム横から世界へ鎮魂の薪能をお届けします。
配信はこちらからご覧いただけます →
文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業
爆心地鎮魂薪能
開催趣旨
現在の広島市中区大手町一丁目のあたりは、江戸期藩政時代から昭和40年(1965年)の住所表示変更まで「猿楽町(さるがくちょう)」「細工町(さいくまち)」と呼ばれていました。江戸時代の広島藩では能役者を抱え、広島城大手門につながる地に能楽師や囃子方、能装束や楽器類の細工師を住まわせ、能楽に関わる町づくりを進めていたのです。
明治維新を経て大正時代に入るとこの地に広島県物産陳列館、のちの広島県産業奨励館(原爆ドーム)が建設されました。県内の特産品の常設展をはじめ、美術展示場や演芸ホールに使用される等、文化活動の拠点としてさらに賑わいを見せ、昭和に入っても能楽ゆかりの「猿楽町」「細工町」が存在していたのです。
この地に存在したはずの人々の生活や文化・歴史は、原爆と共に跡形も無くなり、今では原爆ドームだけが当時を偲ばせています。
この場所で能楽を上演することによって、この地に確かにあった人々の営みに思いをはせ、平和都市ヒロシマの精神を次世代へと継承していきます。そして上演の模様をライブ配信し、そのメッセージを全世界へ広げていきます。併せて、国際連合をはじめ欧州連合やユネスコ本部等の国際機関にも告知を行います。
被爆前の猿楽町周辺地図
